共育
電車に乗っていると携帯をいじっている人が凄く多いのはお馴染みの景色になりました。
そこに母親が携帯をいじっていて、
1人で自由に歩き回る男の子がいました。
その子は電車の外や乗車している人の顔を眺めていました。
私も真似をして人の顔を眺めてみると、
表情に覇気が無い人ばかりでした。
電車で1人で明るくしていても変ですが、
何か寂しい気持ちになりました。
その後少年と目が合い、
5秒ほど見つめ合いました。
心の中で、
「つまらなそうな大人ばかりではないんだよ」と心の中で伝えていました。
子供にとって日常的に接していく大人が魅力的でなければ、
子供もいずれその大人の1人になってゆくのだなとふと思いました。
何歳になってもイキイキと輝いている事の素晴らしさや大切さを教えてもらった気持ちになりました。
日常のほとんどの時間を他人に決められたスケジュールで、
尚且つやらされで生きている大人にとっては、輝いていられる人の方が珍しいのでしょうが、、、
(輝いている人ももちろん沢山います)
以前パティが「教育」という言葉は間違っている気がすると言っていたのを思い出しました。
大人こそ子供から学ぶべき事が沢山あって、
「教えて育てる」というスタンスがそもそも違うのではないのかと。
(教員免許も持っているしこういう人が先生になればいいのに。笑)
私は面白い考えだと思い、
「共に育む」という意味で、
「共育」になったら面白いねと話しました。
生きていく上で常に何かから学び続けていくのが人間だと思います。
しかし歳を追う毎に自分の考えに固執して変化を恐れ、
固定観念に縛られていく人がほとんどだと思います。
そんな大人に対して、
ピュアな心でスポンジのようになんでも吸収しようとしている子供はまさに先生なのだと思います。
いかなる時も学ぶことの大切さを、
電車に乗っていた少年から教えてもらいました。
最近よく後輩から電話がかかってきて、
相談を持ちかけられます。
彼らはみな何か正解を求めているように感じます。
そしてその正解から外れることに対して恐怖心を抱いているように感じます。
私からしたら彼らは若くて魅力的なのだから、
自分がこうしたらワクワクするという道を迷わず決断してしまえばいいのにと思います。
そういう時は、
「知らねえよ自分で決めろよ」
と開口一番伝えるようにしています。
子ども先生だったら、
「なぜこの人はやりたいのにやらないの?」
と真っ直ぐな瞳で聞いてくるのだろうなと思いました。
「共育」
それが当たり前に行われる学校を創り、
魅力的な大人に溢れる未来を作っていきます。
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